意識
人間も動物も含めてみんなは同じ世界にいる。
だけどそれぞれ世界の見え方は全く違う。
物理的な視野の広さ狭さの問題はちょっとここではおいといて、世界の見え方について書こうと思います。
私の通っている学科が「知覚」に関して学ぶことが多く、一年生のときは哲学分野、科学分野、社会分野などいろいろな観点から「知覚」について学んでいました。
全部を理解できたわけではありませんが、その中でも印象に残っている話が
人間は自分の見たいものしか見ない
という話でした。
たとえばいま君たちがみている黒板。君たちは黒板の文字を見ようとしている。だからいま目隠しして背景の壁に傷がいくつあったか、と聞かれても正確に答えられはしないだろう。君たちが見ようと思っているのは黒板の文字で、壁の傷には注視していないからだ。逆に見えているもの全部を記憶しようとしたら脳は莫大なエネルギーを使うことになる。だから我々は世界を取捨選択して見ているんだ。
同じ世界にいて、同じ景色を見ていても自分と相手が同じものをみているとは限らない。
いや、景色として目から入ってくる情報としては同じものなのかもしれないけど、何に着目するかは人それぞれって話です。
あらゆる出来事に接するときに、なにに着目してとらえるかによって全く別の受け取り方になります。
私の所属しているサークルでは企業から課題をいただいて、その広告案をつくるという活動をしたりしているのですが、先日、今回のクライアントである企業の方がプレゼンをしにきてくださいました。
そのプレゼンの際に話していた方の話が始めの2、3分でおもしろかったので、この人はきっと話が上手い人だと思いました。
そこで話し方を参考にしようとその方の雑談から具体例から企業としての要望まで話の構成を全部メモしていったんです。
その人の話が終わって構成メモを見返して震えました。
聞いている人を笑わせながら、話に引き込んでいって、「なにを求めているのか?」と学生が興味を持ち始めたところで雑談にもっていき、最終的に雑談を踏まえて自分の言いたいことにつなげる。
全ての話がつながってるんです。
こんなに話が上手い人がいるのか、と。
久々に心が踊りました。
この話の構成力のすごさに気づけた一番の要因はその人の話を聞いていたというより、その人の話の構成に注意して話を聞いていたからです。
私はもともと話すことが苦手だったため、うまくなりたいと思い、伝え方の本やプレゼンの本などをここ最近ちょくちょく読むようになりました。
そしてその企業の方の話には読んだ本に書いてあった
・具体的な数字を出す
・実体験を話す
など興味を持ってもらう話し方のコツを様々な箇所で使っていました。
それに気づけたのも本を読んで知識を得たからです。
さらに言えば、話がうまくなりたくて参考にするために話の構成をメモしていたからです。
環境は同じだが見え方は違う
本当にそうだと思います。
去年の私だったら話を聞きおわったあとの感想はおそらく「おもしろかった、すごかった」レベルでここまでその人の話の構成力に感動することはなかったでしょう。笑
話し方についていろいろ勉強して意識を向けるようになったからこそ、見えてくるものがあったのです。
自分の周りに起きている出来事の意味を理解して自分の興味あるものに意識を向けることで圧倒的に世界はおもしろくなるし、自分も上の次元にいくことができます。
It's never too late to start.
ー物事をはじめるのに遅すぎるということはない。
気づいた時こそがスタートですね。
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